きものエッセイ2005「愛の虫干し」「自分で着たの? すてき!」 同窓会で友人のきもの姿にうっとりしたのは去年のお正月。 成人式に振袖を作ってやろうという両親の申し出も断り、結婚するときも「和ダンスなんかいらないよ。きもの着ないんだから」と言っていたほど、きものにまったく興味のない私だったが、洋服のときとは違う色香をしっとり漂わせる友の姿に、目から鱗が落ちた。「私もきもの着たい!」 まずは着付け教室へ。きものはひもで着るなんて全然知らなかった。帯を解けば「あ~れ~」って脱げるもんだと思ってたのに。 次に大学の公開講座「きもの学」を受講。織・染め・販売、すべて第一線の講師陣が講義して下さる。きものができあがるまでの気の遠くなるような手間、結集される技術の高さ、すばらしさ。今までまったく知らなかった、本物の「和」の世界…それはこんなにも奥深く、無限の広がりを持つものだったのか。なぜ今までこんな美しいものを知らずに生きて来られたんだろう? きもののことが少しわかるようになってから、結婚するとき母が「これだけは」と持たせてくれた訪問着を引っ張りだしてみた。前は「きれいな花柄」としか思っていなかったきものだが、改めて見直すと、しっとりと重い丹後縮緬に、作家の銘のある上品な手描友禅。嫁ぐ娘のために、つましい家計の中から「どこに出ても恥ずかしくない、長く着られるちゃんとしたものを」と一生懸命選んでくれた、母の愛が偲ばれた。きもののことを学ばなければ、母の思いにも気づかず、タンスにしまい込んだままカビさせていたのか…。 蚕の命、職人の精魂、贈る人の心遣い。多くの愛の結晶であるきものが、まだまだどこかのタンスに眠っている。これからは私も虫干し替わりに来て歩き、街を愛であふれさせたいと思う。 *無断転載を禁じます。 (京都手描友禅協同組合主催 第9回きものエッセイ 西陣織工業組合賞受賞) 副賞の袋帯。 渡文の唐織で、40万円相当のもの。 |